高速増殖原型炉もんじゅを運転して得た技術や知見を世界に発信し、研究者らが集まることで「知の拠点」にする―。こんな理念を掲げ2005年3月に策定されたエネルギー研究開発拠点化計画。計画の柱に据えたもんじゅの廃炉が決まった今、“運転ありき”だった計画は闇に入った。(牧野将寛)【4面に関連記事】
「ナトリウム漏れ事故以来、『危険で無駄な原子炉』という悪いイメージが定着してしまった。敦賀市が『忍』の一文字で耐えてきたのは、敦賀から最先端のもんじゅの成果を世界に発信できると思ったからだ」と同市の池澤俊之企画政策部長は語気を強める。
計画策定当時、県県民生活部長だった旭信昭・若狭湾エネルギー研究センター理事長も「もんじゅでの研究は世界に誇れると期待は大きかった」と振り返る。
敦賀市民にとって拠点化計画はまさに“夢”の計画だった。知の拠点になれば、市内に人があふれ、「町は活性化する」と池澤部長は信じていたという。だが今は「失望感しかない」。
新産業を興し、地元産業を育成できるとの思いだった敦賀商工会議所の有馬義一会頭は「今まで何だったんだ。みじめさがある」と悔しさをにじませた。
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知の拠点への期待の大きさとは裏腹に計画策定後の11年間、もんじゅが運転することはほぼなかった。
一方で、原発を単なる“発電工場”にとどめず、技術や人材の集積を生かし、原子力・エネルギーに関する研究開発拠点も目指して、産学官が連携してさまざまな事業に取り組んできた。
県総合政策部の山田賢一部長は「関西電力美浜原発3号機の死傷事故が起き、安全・安心の項目が加わるなど、もんじゅだけの計画でなくなった」と話す。12月17日に美浜町に完成した「原子力レスキュー」は、遠隔操作ロボットや無線ヘリなどを備えた施設。こうしたもんじゅに直接関与しない事業も進んできたが「もんじゅが中核」は変わらなかった。
県電源地域振興課の担当者は「毎年開く推進会議で、次年度の事業を協議してきた。廃炉になった場合など“もんじゅ後”の進め方が議論になったことは一度もない」と明かす。今後の方針を決める本年度の推進会議は開催が見送られたままだ。
19日に開かれたもんじゅ関連協議会で国は、「廃炉後も高速炉研究開発の中核的拠点に位置付ける」と西川知事に提案した。ただ計画の成果の一つで敦賀市に設置された福井大附属国際原子力工学研究所の竹田敏一特任教授は「研究者も学生も、最先端のもんじゅを活用できるとの気持ちできている。廃炉技術は残っているが、満足できるか疑問」と話す。
計画を支える大きな柱を失ったのは間違いなく、政府が示した中核的拠点にしても画餅に終わるのではとの見方は多い。池澤部長と旭理事長は同じ言葉を口にした。「もんじゅに代わる新たな柱を見つけることができなければ、計画はしぼんでしまう」
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